ショパン

後悔

リロが死んでからいろいろなことを後悔し続けている。
医者に連れて行ったこと、通い続けたこと、リロの苦しさ、辛さに気がついてやれなかったこと、看取ってやれなかったこと。
もっといっぱい名前を呼んであげれば良かった、一緒に寝てあげれば良かった。
シャワーのときかさぶたを取っちゃったこと、もっといっぱい抱っこしてあげれば良かった。
とにかく多くのことを後悔している。

そして、最後に思うのは
リロは幸せだったんだろうか、こんなに辛い思いをするなら飼わなければよかったって。

リロがいたことで楽しかったり、幸せになれたんだから、それは犬を飼わない人にはわからないし得られないことだよ。
犬を飼って、リロがいてくれてみんなが幸せになれたんだよ、よかったんだよ
と友人が言ってくれた。

リロへの罪悪感は消えないが、リロがいて幸せだったことは間違いない

いまは辛いことしか思い出せないけど、幸せだったときのことを思い出せるようにしたい。



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# by ohno64 | 2015-12-19 07:22

熟睡できた

こんな時間に目が覚めたけど、早く寝るのでいつものこと。
よく寝られた。
リロが入院してからなかなか寝られなくて、寝てもなんだか熟睡できた気がしてなかったが、久しぶりによく寝た感じがする。
トイレに行ってまた寝る、これもだいたいいつものこと。

夜中にトイレに行くと必ずリロもくっついてきて、用を足す間私の足元で寝てた。
ダンナやムスメにはしなかったけど、私にはいつもくっついてきたね。かわいかった。

病気になってから異様に体重が増えちゃって、ベッドから飛び降りるのが危険だからしばらく一緒に寝ないでいたんだけど、乗せてくれーってフガフガ言ってきたね。
根負けして結局一緒に寝ちゃって、でも今思うとそうして良かったよ。
引っ越したらベッドを低くくするつもりでいたんだ、リロが飛び降りなくてもすむようにね。

今はヴェンが私の腕枕で寝てるよ。
親子だね、
大丈夫、泣かずにブログかけてるよ


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# by ohno64 | 2015-12-19 02:16

救われた

今日も目がさめるなり涙がでて、ずっと泣いていた。
寝不足と泣きはらした目が重く、頭もスッキリしなくて気分が悪い。それでも2日ぶりに引っ越しの片付けをする。
もう金曜日なんだね、今週は曜日の感覚が全くなかった。
リロにお線香をあげたけど、お花もないしなんか寂しいね、ムスメが帰ってきたら花を買いに行こうと思っていた。
ダンナも出かけ1人になるとまた悲しみが襲ってくる、昨日で一区切りついたと思っていたのにぜんぜんダメだ。
なんでこんなに泣けるんだろうね、もう泣くのやめたいのにさ。

最後にリロを診てくれた病院からお花が送られてきた。
一気にリロの周りが明るくなった、良かったねリロ。
リロが生きていたこと、がんばっていたこと、リロを想ってくれた人たちがいたことがなにより嬉しい。

ムスメが帰宅したので、お花とロウソクを買ってきた、買い物から帰ると電話がなり友人がお花を持ってきてくれるという。嬉しかった、ここにもリロを想ってくれる人がいてくれる。
玄関先でと言われたが、お線香をあげてもらった。
リロの死の悲しみを家族以外の人と共感し、いろいろ話をした。
さっきまで辛くて辛くて仕方がなかったのが、なぜか少しスッキリした。
彼女は恩人だ、ほんとうに救われたよ、ありがとう。
考えてみたら、家族以外の人と話をしていなかった。ずっと家の中でリロの死と向き合い続けていたから、ほんとうにつらかったんだ。
久しぶりにごはんがおいしかった。
悲しみも寂しさも変わらないが、辛い気持ちが少し癒された。
少しずつ、元気になるよ、がんばるよ

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# by ohno64 | 2015-12-18 19:56

記録と記憶

眠れないから、リロのことを書いておく。
いつかきっと悲しい記憶も薄れて行くだろう、忘れるのではない前を向いて生きていくにはそれもしかたがないんだ、だから記録しておく。

9月14日日曜日、くもりでちょっと小雨が降る暖かい日だった。
2.3日前から息苦しそうな様子のリロだったが、ショパンもたまにそんなことがあったんで同じようなものだろうと思っていた。
その日、水を大量に飲んで大量におしっこをしたあと、たまたま見えたベロが紫色に変色していてすぐにチアノーゼになっているとわかりあわててかかりつけの医者に電話をした。あいにく日曜日で電話が繋がらず留守電に用件をいれて電話を切った。
すぐにPCで日曜日診察している近隣の獣医を調べるがいまひとつ不安でブリーダーさんに電話をして獣医を紹介してもらうことにした。
M医が連絡がつけばいいのにと言われたが、実は内心M医は嫌だなという気持ちがあった。
運良くというか、幸いというかM医とは連絡がつかないので遠くはなるが綾瀬の病院を紹介してもらう。
ブリーダーさんが連絡をしてくれて連れて行くという段取りを取り、慌てて家を飛び出した。
綾瀬まで高速を使えば1時間弱で着くことがわかり、高速をぶっ飛ばした。
思ったより近いなと思ったけど、なんかあってもすぐにはいけない距離だなとも思った。

医者に着くとたくさんの犬や猫を連れた人たちであふれていた、これは診察までに相当時間がかかるなと思ったが医者にいればなにかあればすぐに対応してくれるだろうとそのときもまだリロの重篤ぶりに気がついていなかった。問診票に氏名、住所、症状などを書くとすぐに診察をしてくれるという、そのときもまだブリーダーさんが連絡をしてくれたからだなくらいにしか思っていなかった。

診察台にリロを乗せると、最初に皮膚の状態に驚かれる。
初見の時点でかなりヤバイ、命の危険があることを知らされる。少し検査をするからと一度診察室から退室をする、路上駐車していた車をパーキングにうつす、待合室にもどる、待つ。ダンナとムスメに連絡する。その間涙が次から次へと出てくる、止めようと思っても止まらない。待合室にはほかにも人がたくさんいるのに、涙が自然にあふれてくるのだ。
しばらくして名前を呼ばれ診察室に入るとレントゲン写真がはられ、肺炎か肺水腫の疑いがあると言われる。
そしてもっとも深刻なのが薬の多量摂取による薬害だという。
皮膚の治療に使われていたステロイドを多量に使用したことにより皮膚の表面が硬くなってしまったという。
ステロイドか、聞いていなかったがやっぱり使われてたんだと思った。
その場で即入院となり、そのときから地獄の底へ突き落とされたような辛い時間が始まる。

ごめんしか出てこなかった。
無知すぎる飼い主と、なかなか良くならない治療に疑問を抱きながらも、言うべきことも言わず、聞きたいことも聞かなかった。
なんどかほかの医者に連れて行こうかと思ったのに、大丈夫だろうと診せ続けていた。
すべてわたしのせいだ。
大きな後悔と悲しみがわたしを襲う、でもそれだけリロにひどいことをしてきた、つらいことをガマンさせてきたんだ、もっと悔やんで罪悪感に苛まれればいい。

その晩は寝られなかった。寝ても頭が冴えている。
朝になり電話がこなかったことにホッとする。
北海道に行っていたダンナが帰るのを待ち、3人でリロに会いに行く。
改めて病状を聞くと、肺炎ではないらしいが肺に水が溜まっているようだ、息苦しくて空気をいっぱいすって胃に空気がたまり膨張している。
そしてやはりステロイドの過剰摂取によるなんらかの内蔵に障害がある、とにかくやれることはやる、呼吸がうまくできるようになったらしめたもんということ。
リロに会いに行くと、酸素室に入って寝ている。
行っても気がつかなくて、リロと声をかけると目を覚まししばらくボッーとした様子で少しするとヨロヨロと起きて私たちのところへ来てくれた。
思っていたより状態は悪かった。ベロがピンク色になっていたのが唯一安心したくらいだ。
もしかしたら助からないかもしれないという気持ちと、きっと元気になるという気持ちが半分半分で、あまり長くいると疲れちゃうだろうからと少しの時間で帰ってきたが、あれがリロと最後になるとはな。
入院している間、毎日でも行こうと思っていたのに、病院も忙しいし、遠いいしな、それにもう1日すればもう少し状態が良くなっているんじゃないかとの期待もあって次の日は途中まで行ったものの引き返してきてしまった。
これも本当に悔やまれて仕方ない。

そして12月16日8時9分に医者から危ないと最初の電話をもらう。
すぐに行くからと取るものも取り合わず慌てて家を飛び出し病院へ向かう途中8時27分亡くなったと連絡を受けた。
病院に着いたときはまだリロは温かかった。
最後の最後までかわいそうなことをした。ダメならば連れて帰って来れば良かった、私たちの腕の中で逝かせてあげたかった。
怖かっただろう、不安だっただろう、寂しかっただろうな。

声をあげて泣いたのなんて初めてじゃないだろうか、ダンナも泣いていた。ムスメも泣いていた。
家族みんなが悲しみと後悔に包まれている。

リロは私たちにいろいろなことを教え残してくれた。
ちっちゃかったけど勇敢だったリロ。

リロは死んでしまった、もう帰ってこない、抱きしめることも、一緒に遊ぶことも、一緒に寝ることも、出かけることも、本当に寂しくて仕方がない。

リロに辛い思いをさせた分、寂しい思いをさせた分、私たちがこれからその何倍も辛い思い、寂しい思いを持ち続けて生きていかないといけない。それが私たちが至らなかったせいで死なせてしまったリロへの私たちができる唯一の償いだ。
だからいつまでも泣いていないで、悲しみと辛さ、寂しさを秘めて生きないといけない。
だって、リロはひとことだって泣き言が言えなかったのだから。
そして私たちにはまだショパン、そしてリロが命をかけて生み育てたヴェンがいる。
あと2回、辛い思いをしないといけないんだね。でもリロがヴェンを残してくれたおかげですこーしだけ寂しい思いをしなくてすんでるよ。

リロ、ぴーちゃん
楽しい幸せな時間をありがとう。
少しの間のお別れだから、また会おうね、待っててね。
そしてもう泣かない。


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# by ohno64 | 2015-12-18 01:16

眠れぬ夜

リロとお別れをして悲しみが少し癒えたと思ったのもつかの間で、ものすごい寂しさに襲われている。
こんなにも喪失感を感じるとは、
リロが入院をしてから夜中に電話があるんじゃないかと心配で寝られなかった。
亡くなった晩は、悲しくて寝られなかった。今日少しは熟睡できるかと思ったが目が覚めてしまった。

ごはんがおいしくない。テレビが面白くない。


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# by ohno64 | 2015-12-18 00:02

しばしのお別れ

今日、リロを荼毘にふしてきました。
人様同様、手厚くしていただき心がいやされました。
お墓も見てきたけど想像していたよりずっとよかった。ここならリロも寂しい思いをせずにすみそうですが、もう少し気持ちの整理がつくまで手元に置いておきます。

悲しみは変わらないけれど、少し落ち着きました。
火葬という葬い方はとても良いと思う、骨になることであきらめがついたり、一区切りつけることができる。

お墓を見て、悲しみや悔しさに苛まれている人たちがたくさんいることもわかりました。
私たちだけじゃない、必ず立ち直れると励まされたような気がします。

リロ、少しだけお別れです。
また会おうね、寂しがらないで、いつもそばにいます。
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# by ohno64 | 2015-12-17 18:21

リロ

3年以上のご無沙汰でした。
リロの記憶を辿って、昔書いていたブログを発掘しました。

私たちの愛するかわいいかわいいリロが、12月16日
8時27分お星様になりました。
今年の5月くらいから皮膚の具合が悪くなりました。
最初はお尻に3つくらいニキビみたいのがきっかけです。
たいしたことないと思っていたのがみるみる化膿し始め、医者に連れて行きました。
そのときもすぐに治るだろうくらいの気持ちしかなかった。
そのうち化膿が全身に渡り始め、全くよくなる気配すらなかった。
あわせて、手足が冷たくなったり、お腹が異常に張ったりして私たち素人が見ても、普通じゃない状態が半年以上続いていました。
考えてみれば避妊をしていないのに、ヒートもこなかったな。
なかなかよくならなくて、医者の治療に不信感を持ちつつも、大丈夫だろうと楽観していたことでリロが命を落とすことになった。
死因はステロイドの過剰摂取により内蔵がダメージを受けたのではないかということだ。
でも、本当のことはわからない。
救急で駆け込んだ医者にもたぶんそうであろうという判断しかできないのだ。
どちらにしても、私たちに責任がある。
リロは自分でなにも選択することも、辛さや痛さを訴えることができない、飼い主を信じるしかなかったんだから。
早くセカンドオピニオンをすればよかった、亡くなる前の日に会いに行こうと途中まででかけて行ったが、道が混んでるからとあきらめて帰ってきてしまった。
あの時行ってあげていれば、連れて帰ってくれば家族で看取ることができた。
本当に後悔ばかりだ。

リロはいろいろなことを私たちに教え、残してくれた。
リロへの想いは書ききれない、この悲しみを家族みんなで受け止めていかなければいけない。

今日リロは荼毘にふされる。
最後のお別れだよ、仕事が休めない旦那は出社前にリロを抱いて声をあげて泣いた。義父が亡くなったときもこんなに悲しんでいなかった。
わたしも母親が亡くなったときより悲しい。

これからリロは一人で旅立つけど、私たちもショパンもヴェンもそのうち行くから待っててね。
リロはいい子だしみんなと仲良くできるよ、苦しみも痛みもない、リードもしないですむからいっぱい走りまわれるよ。
私たちは一生忘れない。

大好きだよ、リロ。愛してるよ、リロ。

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# by ohno64 | 2015-12-17 08:28

明日から夏休み

こちらへの投稿は久しぶりだね~
ここんとこツイッターにFBがメインだったからなぁ

FBではちょっと読まれたくない記事なんで
久々にこちらに投稿です。

さて、ここのところ本当に会社が大変なんです
具体的なことは書けないけどね

会社には社員のほかに
父と弟がいる
会社が大変になる=父が大変
ということで
母親が亡くなってからは
父を助け、励ましあってやってきた
父も私たち家族の生活を始め、社員の生活
もちろん自分の生活のためがんばってきた

そんな父ももう年だ
なにかの書類を書いていて
父の年齢が79と書いてあり
「こんなにじいさんだったんだ」とびっくりした
確かにうちの父は元気だ
たぶん平均的79歳よりはずっと元気だと思う

けれどそんな父も
耳は遠くなり
経営者としての迫力や気力
判断力や実行力
父親としての威厳など以前にくらべると
すっかり衰えてしまった

それと比例するように
会社がどんどん大変になって行き
前はぜったいにそんなことなかったのに
いまや他力本願の域に入っている
(言っておくがけっしてへんてこな宗教とかではない)

弟は
次期社長ということで大手企業を辞めて
会社に入ってきたが
中小企業がどれだけ大変かということを
いま身をもって感じていることだろう

私は弟の考え方ややり方が好きじゃないし
受け入れられない
経営者としてのビジョンもぜんぜん違うし
会社に向き合う姿勢もまったく相いれない
親に対する態度もぶん殴ってやりたいくらいだ
あれほど厳格だった父親も
弟にはなにも逆らうことができないし
むしろ顔色をうかがっている
そんな様子だ

そんな父親をなさけないと思ったり
もう年なんだな、仕方がない
世間の79っていったら現役を引退し
悠々自適な暮らしをしているのだろう
一生現役でいたいような父親だから
辞めたくても辞めらんないんだろうなぁ

父親とひと月以上まともに口を聞いていない
母親ともだ
弟なんてもっとだ

もともと弟とはまともに口のきける関係じゃないから
今に始まったことではないが
こんなんでとてもビジネスパートナーとして
やっていけるわけがない

父親にはいろいろな不満があったり
泣きごとを聞きたくないから口をきいていない

私たちは親子であるが
会社の経営者である
会社が非常事態にある今
なにひとつまともに口をきかない状態って
いったいなんなんだ

私は父親が好きだし大切に思っている
できれば平穏な老後を送ってもらいたいし
もう苦労なんかする必要ないと思っている
私にはその覚悟ができているのに
父親も弟もまだその覚悟はできていないんだ

明日から夏休み
会社のこと
家族のこと
自分のこと
いろいろ考えようと思っている

このままじゃいけないことはわかっている
親と毎日顔をあわせているのに
口もきかないっていう苦しい状態から早く抜けたい
もっと素直に父親に優しくしてあげたい
母親に感謝したい

弟も好きではないが
けっして自分のためだけに勝手しているわけじゃない
会社のために大変の想いをしているのはよくわかっている

それでも
なにかが間違っていると思う
間違った方向に進んでいる気がしてならない
うちの会社はそんな会社じゃなかった
世の中や、社長が交代しても
変えてはいけないものがあると思う

そういうことがキチン話せるように
気持ちを整理する時間を持ちたいと思う
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# by ohno64 | 2012-08-10 14:58 | わたしのこと

リロ、ヒートになる

なんだか久しぶりのような気が

まぁ健康ということだろう
しばらく部屋は汚れるが掃除をすればすむことだし、ちょっとのガマンだよ。

でもまぁ
以前に比べればショパンがおとなしくなっただけ助かる。
去勢する前は、リロにしつこくつきまとうし、一日中キュンキュン鳴いてるし、ご飯は食べないし、とにかく暑苦しくて仕方がなかった。

ヴェンはまだタマありだけど、経験がないからなんのことだか、どーしたらいいかわからないみたいだ。

それでも油断は禁物、親子だからね
万が一のことがあったら大変だからさ

2週間くらいの辛抱です
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# by ohno64 | 2012-06-03 16:19 | 犬のこと

最初で最後の

2団体所属している吹奏楽団のうちのひとつが
昨日初めてホールを借りて演奏会を開くことが出来ました

実は
計画をしたのは去年の4月
あの震災の影響で中止となり
計画を復活させてやっと実現した演奏会だった
去年は演奏会委員として準備を進めていたが
中止になった時点で心が折れて
私の中での復活はありえなかったが
新たに演奏会委員が立ちあがり
なんとか1年越しに演奏会を開催するに至ったのだ

このバンド
設立2年目からお付き合いをさせていただいた
最初は飲み会に乱入し
いつのまにかメンバーになっていた
あの当時は本当に無邪気に楽しかった
いま思えば
楽器なんて満足に出来なかったけど
でもそれをだれが咎めるわけでもなく
演奏が終わると酒を飲む
みたいな
どっちが目的なんだかわからない感じだったけど
みんな和気あいあいと本当に楽しかったなぁ

子どもも小学校の吹奏楽クラブに入っていたから
こどもと一緒の本番の時には
こどもの母友も集まり
演奏終了後はこどもは遊び親は酒盛りと
出来ても出来なくても
本番に乗っても乗らなくてもみんなよく飲んだしよく語ったね
指導者をめぐって学校とひと悶着あったりして
ふふふ
私も若かったけどみんなも若かった

あれから10年がたって当時のメンバーはもう半分もいない
楽器をやめてしまった人
病気になり出来なくなった人もいる
もちろんこの10年の間に
いままで楽器をやったことのなかった人が
楽器を持つようになったりプレイするようになったり
学生時代やっていたけど
しばらくぶりに始めたっていう人もいる

地味に活動しながらも
特定の小学校の父母が中心だったメンバーが
いろいろな環境の人が入団するようになり
いろいろな考え方や音楽の嗜好も変化していく
それはバンドとしてはある意味成長しているということではいい事でもあるが
少々さびしい気持ちになったりする
変化と言えば
そういう私も大きく変化した1人なんだろうな
いままで音楽活動の中心だったこのバンドが
いまは他のバンドになっているんだから

演奏会を機に私はこのバンドを卒業することにした
本当にいろいろ思い出がいっぱいあって
吹奏楽という音楽を教えてくれたこのバンドにいっぱいいっぱい感謝しているし
こどもを介さずに友人を作れたというのは本当に大きな宝だ

みんなぁ
やめちゃうけどさ
飲み会誘ってね
エキストラで読んでね
MCもやるからさ~

Y-waiのますますの発展をお祈りしています
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# by ohno64 | 2012-05-14 16:00 | 音楽のこと

フレブル「ショパン」と「リロ」そしてその一家の日々
by ohno64
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