ショパン

2015年 12月 18日 ( 3 )




救われた

今日も目がさめるなり涙がでて、ずっと泣いていた。
寝不足と泣きはらした目が重く、頭もスッキリしなくて気分が悪い。それでも2日ぶりに引っ越しの片付けをする。
もう金曜日なんだね、今週は曜日の感覚が全くなかった。
リロにお線香をあげたけど、お花もないしなんか寂しいね、ムスメが帰ってきたら花を買いに行こうと思っていた。
ダンナも出かけ1人になるとまた悲しみが襲ってくる、昨日で一区切りついたと思っていたのにぜんぜんダメだ。
なんでこんなに泣けるんだろうね、もう泣くのやめたいのにさ。

最後にリロを診てくれた病院からお花が送られてきた。
一気にリロの周りが明るくなった、良かったねリロ。
リロが生きていたこと、がんばっていたこと、リロを想ってくれた人たちがいたことがなにより嬉しい。

ムスメが帰宅したので、お花とロウソクを買ってきた、買い物から帰ると電話がなり友人がお花を持ってきてくれるという。嬉しかった、ここにもリロを想ってくれる人がいてくれる。
玄関先でと言われたが、お線香をあげてもらった。
リロの死の悲しみを家族以外の人と共感し、いろいろ話をした。
さっきまで辛くて辛くて仕方がなかったのが、なぜか少しスッキリした。
彼女は恩人だ、ほんとうに救われたよ、ありがとう。
考えてみたら、家族以外の人と話をしていなかった。ずっと家の中でリロの死と向き合い続けていたから、ほんとうにつらかったんだ。
久しぶりにごはんがおいしかった。
悲しみも寂しさも変わらないが、辛い気持ちが少し癒された。
少しずつ、元気になるよ、がんばるよ

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by ohno64 | 2015-12-18 19:56

記録と記憶

眠れないから、リロのことを書いておく。
いつかきっと悲しい記憶も薄れて行くだろう、忘れるのではない前を向いて生きていくにはそれもしかたがないんだ、だから記録しておく。

9月14日日曜日、くもりでちょっと小雨が降る暖かい日だった。
2.3日前から息苦しそうな様子のリロだったが、ショパンもたまにそんなことがあったんで同じようなものだろうと思っていた。
その日、水を大量に飲んで大量におしっこをしたあと、たまたま見えたベロが紫色に変色していてすぐにチアノーゼになっているとわかりあわててかかりつけの医者に電話をした。あいにく日曜日で電話が繋がらず留守電に用件をいれて電話を切った。
すぐにPCで日曜日診察している近隣の獣医を調べるがいまひとつ不安でブリーダーさんに電話をして獣医を紹介してもらうことにした。
M医が連絡がつけばいいのにと言われたが、実は内心M医は嫌だなという気持ちがあった。
運良くというか、幸いというかM医とは連絡がつかないので遠くはなるが綾瀬の病院を紹介してもらう。
ブリーダーさんが連絡をしてくれて連れて行くという段取りを取り、慌てて家を飛び出した。
綾瀬まで高速を使えば1時間弱で着くことがわかり、高速をぶっ飛ばした。
思ったより近いなと思ったけど、なんかあってもすぐにはいけない距離だなとも思った。

医者に着くとたくさんの犬や猫を連れた人たちであふれていた、これは診察までに相当時間がかかるなと思ったが医者にいればなにかあればすぐに対応してくれるだろうとそのときもまだリロの重篤ぶりに気がついていなかった。問診票に氏名、住所、症状などを書くとすぐに診察をしてくれるという、そのときもまだブリーダーさんが連絡をしてくれたからだなくらいにしか思っていなかった。

診察台にリロを乗せると、最初に皮膚の状態に驚かれる。
初見の時点でかなりヤバイ、命の危険があることを知らされる。少し検査をするからと一度診察室から退室をする、路上駐車していた車をパーキングにうつす、待合室にもどる、待つ。ダンナとムスメに連絡する。その間涙が次から次へと出てくる、止めようと思っても止まらない。待合室にはほかにも人がたくさんいるのに、涙が自然にあふれてくるのだ。
しばらくして名前を呼ばれ診察室に入るとレントゲン写真がはられ、肺炎か肺水腫の疑いがあると言われる。
そしてもっとも深刻なのが薬の多量摂取による薬害だという。
皮膚の治療に使われていたステロイドを多量に使用したことにより皮膚の表面が硬くなってしまったという。
ステロイドか、聞いていなかったがやっぱり使われてたんだと思った。
その場で即入院となり、そのときから地獄の底へ突き落とされたような辛い時間が始まる。

ごめんしか出てこなかった。
無知すぎる飼い主と、なかなか良くならない治療に疑問を抱きながらも、言うべきことも言わず、聞きたいことも聞かなかった。
なんどかほかの医者に連れて行こうかと思ったのに、大丈夫だろうと診せ続けていた。
すべてわたしのせいだ。
大きな後悔と悲しみがわたしを襲う、でもそれだけリロにひどいことをしてきた、つらいことをガマンさせてきたんだ、もっと悔やんで罪悪感に苛まれればいい。

その晩は寝られなかった。寝ても頭が冴えている。
朝になり電話がこなかったことにホッとする。
北海道に行っていたダンナが帰るのを待ち、3人でリロに会いに行く。
改めて病状を聞くと、肺炎ではないらしいが肺に水が溜まっているようだ、息苦しくて空気をいっぱいすって胃に空気がたまり膨張している。
そしてやはりステロイドの過剰摂取によるなんらかの内蔵に障害がある、とにかくやれることはやる、呼吸がうまくできるようになったらしめたもんということ。
リロに会いに行くと、酸素室に入って寝ている。
行っても気がつかなくて、リロと声をかけると目を覚まししばらくボッーとした様子で少しするとヨロヨロと起きて私たちのところへ来てくれた。
思っていたより状態は悪かった。ベロがピンク色になっていたのが唯一安心したくらいだ。
もしかしたら助からないかもしれないという気持ちと、きっと元気になるという気持ちが半分半分で、あまり長くいると疲れちゃうだろうからと少しの時間で帰ってきたが、あれがリロと最後になるとはな。
入院している間、毎日でも行こうと思っていたのに、病院も忙しいし、遠いいしな、それにもう1日すればもう少し状態が良くなっているんじゃないかとの期待もあって次の日は途中まで行ったものの引き返してきてしまった。
これも本当に悔やまれて仕方ない。

そして12月16日8時9分に医者から危ないと最初の電話をもらう。
すぐに行くからと取るものも取り合わず慌てて家を飛び出し病院へ向かう途中8時27分亡くなったと連絡を受けた。
病院に着いたときはまだリロは温かかった。
最後の最後までかわいそうなことをした。ダメならば連れて帰って来れば良かった、私たちの腕の中で逝かせてあげたかった。
怖かっただろう、不安だっただろう、寂しかっただろうな。

声をあげて泣いたのなんて初めてじゃないだろうか、ダンナも泣いていた。ムスメも泣いていた。
家族みんなが悲しみと後悔に包まれている。

リロは私たちにいろいろなことを教え残してくれた。
ちっちゃかったけど勇敢だったリロ。

リロは死んでしまった、もう帰ってこない、抱きしめることも、一緒に遊ぶことも、一緒に寝ることも、出かけることも、本当に寂しくて仕方がない。

リロに辛い思いをさせた分、寂しい思いをさせた分、私たちがこれからその何倍も辛い思い、寂しい思いを持ち続けて生きていかないといけない。それが私たちが至らなかったせいで死なせてしまったリロへの私たちができる唯一の償いだ。
だからいつまでも泣いていないで、悲しみと辛さ、寂しさを秘めて生きないといけない。
だって、リロはひとことだって泣き言が言えなかったのだから。
そして私たちにはまだショパン、そしてリロが命をかけて生み育てたヴェンがいる。
あと2回、辛い思いをしないといけないんだね。でもリロがヴェンを残してくれたおかげですこーしだけ寂しい思いをしなくてすんでるよ。

リロ、ぴーちゃん
楽しい幸せな時間をありがとう。
少しの間のお別れだから、また会おうね、待っててね。
そしてもう泣かない。


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by ohno64 | 2015-12-18 01:16

眠れぬ夜

リロとお別れをして悲しみが少し癒えたと思ったのもつかの間で、ものすごい寂しさに襲われている。
こんなにも喪失感を感じるとは、
リロが入院をしてから夜中に電話があるんじゃないかと心配で寝られなかった。
亡くなった晩は、悲しくて寝られなかった。今日少しは熟睡できるかと思ったが目が覚めてしまった。

ごはんがおいしくない。テレビが面白くない。


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by ohno64 | 2015-12-18 00:02

フレブル「ショパン」と「リロ」そしてその一家の日々
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